地湧社設立趣意書

英語版[Jiyusha Prospectus]

1.私達は有史以来初めて体験する、さまざまな大きな危機に直面しています。その最も切実な問題が、世界的な規模で廃絶が叫ばれている核兵器であります。核兵器を使用するという事態が勃発すれば、人類は間違いなく滅びることでしょう。

私達が直面している危機は、一つ核兵器の問題のみではありません。産業の近代化にともなう大気汚染と、そして河川や海の水質汚毒は、私達の生命を、じょじょに、しかも確実に蝕んできています。また私達の生命の源は食物でありますが、現実に直面している食品禍は、おそるべきもので、これまた私達の生命を蝕んでいます。日本の農地は農薬と化学肥料によって瀕死の状態であります。私達の健康と生命を脅かしている食品は、農産物だけではありません。工業的に作られた有害添加物を含む、偽りの食品が氾濫し、それを口にする私達は、生命の根から断たれた浮き草のような状態になりつつあります。現実的には、ガン、脳卒中、心臓病等々の文明病は、いよいよ増加の一途をたどっています。これは、肉体のみにとどまらず、私達の精神を確実に腐敗させています。

私達をとりまく大自然の中で、自然と人、社会と人、人と人とが触れあう環境が、世界中の一人一人に対し例外なく、次第に生命を滅ぼす方向に進んでいることは、誰の目にも明らかです。

2.さて、人間の没落に歯止めをかけるには、どうすべきかという問題であります。

政治家や経済人など現代の指導者的立場にある人が、人類未曾有のこの危機を救ってくれるでしょうか。答えは残念ながら否であります。彼らがこんにち担っている役割を突然変えることは、かえって社会を混乱させるだけのことでしょう。

では、学者、教育者、医師、その他文化人が私達の生命を守る役割を果たしてくれるでありましょうか。学問や職業を極度に専門化し、私達を当たり前の生活から遠ざけた彼らも、残念ながら私達を育ててはくれないでありましょう。

それならば、宗教家は私達を救ってくれるでしょうか。しかし、これほど大きな問題に直面した宗教者は、いまだかつてなかったのです。すなわち、宗教は私達を救う原理を内包しているはずですが、では世界的な規模に拡がっている危機をどのようにして救うかという具体策の点では、まだ私達と同じ入り口で模索しているのが実状でありましょう。

すなわち、私達は今まで、私達の指導者として仰いできた人々を、もはや頼りにはできないということに気づいたのです。

3.つまり、私達は、科学だとか文化だとか言って、表層の感覚や知的営みばかりをあてにしてきたのです。 既成の文化が人間にとってまったく無意味だったというわけではありません。しかし生命の深い根を見つめた観点に立てば、そうした知的営みは、人間に秘められた能力のごく一部分に過ぎなかったのではないかということであります。人間は、もっと大きな智慧に支えられているのではないでしょうか。

私達は地球誕生以来の進化の産物です。私達の生命の中には、地球と同じ歴史を圧縮して宿しています。すなわち、実際的な年令とは別に、私達は三十数億年という年令を持っていることになります。たかだか数千年の文化を誇ったりしてみても、私達の生命に宿る歴史から眺めれば、部分に過ぎないわけです。

私達誰もが、現在の文化から得た智慧以上の、魚であったりサルであったり、あるいは宇宙そのものであったときの智慧を、潜在的に持っていると考えられます。

これまで、この深い智慧に到達した人々は、特殊な境遇に出会った、ごく一部の人々でありました。ところが、このまったく行き詰まった現代になって、自らあてにしてきた人知の舟をおり、いのちの再生へと進路を取りはじめた人々が、洋の東西を問わず、増えはじめています。

これを自覚の人々と呼びましょう。

4.彼らはとりたてて指導者的立場にある人ではなく、大地に根を下ろした実践をもった人々です。彼らは百姓であったり、庭師であったり、家庭の主婦であったり、市井の医師であったり、あるいは宗教者であったりします。

彼らは、生命に根ざした生き方をいち早くした人々といえます。次の時代を担う人達です。にもかかわらず、彼らは、そのことをはっきり意識する必要のない世界に住んでいます。ですから、彼らはお互いに連絡を取り合うこともなく、自己との対話の中で、内面から聞こえてくる声を頼りに生活しています。

彼らとは、それはあなたなのです。

深い智慧の井戸を掘りつつある、あなたなのです。

生命に根ざした生き方をしている、あなたを含めたその人達は、社会の表面に露われていませんが、しかし一本の地下水脈でつながっています。この地下水脈はやがて地表に湧き出し、人類の生命の根源の水となり、人々を潤し、旧い人々が想像するような激しい変化ではなく、もっと静かに、しかし確実に、この世の変革をとげるに違いありません。

自覚の時代は始まっています。

1982 年10 月

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