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宮嶋望:みやじま のぞむ

宮嶋望:みやじま のぞむ

新得共働学舎代表 一九五一年生まれ。四歳から二十二歳まで自由学園の教育を受け、卒業後渡米(四年間)。
ウィスコンシン大学にて酪農を学び、七八年北海道新得に入植。新得共働学舎を創設し十四年が経つ。

三年前、ペルーを旅し、インカ文明の遺跡マチュピチュの高台に立ち、ワイナピチに登った。

その経験は、地球の反対側で、自分自身の存在と、人が生きるということの普遍性との接点を確めることにつながっていった。

物も情報も届かない、かつては高度な精神文化を持っていた社会の跡に立ってみると、物と情報にあふれ、高度な機械文明に支えられてい
る現代の日本の社会では、人が生きていくことの本質を感じることがほとんど不可能に思え、人類は、

何を代々受け継いでいけば良いのか分らなくなっているのではないか、と思わずにはいられなかった。

次世代へ継承すべきこと

北海道に来て十四年間、共働学舎の新得農場を創りながら、様々な悩みを抱えた人たちと一緒に生活をしてきた。

一人ひとりの悩みを、生きているその場で見つめていると、その人を通し、家庭、学校、社会と日本の経済合理性が生みだす精神社会の歪みがよく見えてくる。

カネが価値を支配し、学力、経済力の競争に勝った強者は尊ばれ、蹴落とされた者は枠組の中にはまりながら、凝集された歪みをストレスとして背負わされる。

それに耐え切れなくなると、様々な症状と共に自らの精神力で生きることを放棄してしまう。

そして充分に豊かな社会、家庭では、それを容認してしまうことが出来るため、結果として本人には依存心を植え付け、助長させてしまうことになる。
また、競争に勝ち残ってきた者は、数字により評価されることに慣れすぎ、知識や技術を競争の場でしか生かせない、
数字をゴールにして走るしかない。自分の生き方を創造することを学ばないので、個人の生き方は、流行と常識に追従していくしかない。

そして主体性を持った自律的生活と、自分勝手な生き様との区別がつけられないまま、多くの人々は何らかの形で依存形の人間に造られていく。
社会の流行や常識の基盤となっている経済的合理性は、まるでモンスターのように全ての人々を飲み込もうとしている。
世界中の物と情報が集まり、人が集まり始めたこの国は、豊かさを誇っているがこれで良いのだろうか。

次世代へ受け継ぐものの選択は間違ってはいないのだろうか。

社会福祉法人でもないこの共働学舎に、悩みを持ち、駆け込んで来る人々は、何を意味しているのだろうか。
人はストレスがたまると、体の中の一番弱い所に病気の症状を出し、全体に対し警鐘を鳴らす。人間社会も同じだ。

ストレスを背負い込む心やさしい、今の世になくてはならない人々は、黙って耐えているが、そのつけは、自ずと一番弱い子供たちへ廻されていく。

自らその道を選んだ大人と違って、耐える理由を知らない子供たちは、ストレスを発散する術だけを身に付けるか、自分の殼を作り、

心を隠して、自分自身の尊厳を守ろうとする。どちらの場合も、周りの人たちが
困ったものだと思うのならば、それは、子供たちから発せられた警鐘と思うべきだろう。
次の世代を担う子供たちが、各々のびのびと夢を描き、将来を明るく見れるようになれば良いと思うのだが。

心の葛藤を通して

共働学舎には様々な人が集まり生活している。

登校拒否をしていた人、病気で体が不自由になった人、幻覚や幻聴に悩んでいた人、何もする意欲の湧かない人、
自然を守る農業をしたい人、生きることに意義を見つけたい人、何も知らずここで生まれ育っている子など様々だ。

ここでは、各々の人間模様が織りなす色が重なって全体の色が出来てくる。

規則も約束も無く、誰かが色を決め、皆が従い合わせるのではない。

各々の変化しつつある色が、調和したりしなかったり、輝いたりくすんだり、ここの人間関係は生きていて決して固定することは無い。

これは一見、不安に思われるだろう。が、決して「君は不用だから出ていけ」とは言われないので、

自分と異なるものを認め、受け入れることを知れば、安心し、閉ざした心を開きだす。
人が何かをしたいと心から思った時には、生活しているその場から、必要なものを学び吸収していく。

そして、自分の意志が通じ、想いが形に現れてきた時の悦びは何にも換え難いものがある。決して自分一人の力で出来たのではない。

周りの人、もの、自然、そして見えない意志の世界までが協調した時に、心の想いは現実のものになることを学び、初めて心からの感謝の念を学ぶ。

感謝という言葉だけを教えても、この心の葛藤を経なければ、心の畑に芽を出し育つことは無い。

また、人の心を捕らえゆさぶり、和を作る力は持てない。実際の生活の中で、子供たち自身の純粋なぷエきたい〃という想いと、

人が和をもって生きていくという原点をぶつけ、心の葛藤の中から豊かな心を育てていく。
これが、教育としてこれから一番求められることだろう。
今、教育は人を教え育むより、評価する事を仕事としているようだ。

数字で表せないものまで遮二無二、評価法を見つけていく。子供の心はもともと柔軟で吸収力に富む。

そこへ大人に都合の良い枠をはめればすぐに順応していくが、その枠は鈍重な大人の頭で考え出したもの。
その子供たちが社会創りに力を振るうのは、二十年も三十年も先の話だ。この枠がその時代に通用するはずが無い。

子供の心に今植えなければならないのは、人を評価することではない。新しい生き方を考えることだ。

黙っていたら“もの”の時代から“こころ”の時代は生まれて来ない。

子供たちが、彼らの時代に、和を創り、どうやって生きていくかを見つけだす心と目を今、育てていかなくては。

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