おばあちゃんへ
私が小学3年、弟が1年のとき、両親が亡くなった。 僕達を引き取って育てることになった祖父母は、もう60を過ぎていた。 友達ができても、親がいないことを隠した。 遠足の日、祖母が作る弁当を見て、「誰がこんな弁当持っていくもんか! ママはもっときれいな弁当作ってくれた」と言ったことがある。その次に弁当がいる時からは、一生懸命カラフルにしてくれた。 授業参観の日、一人だけ、ばあちゃんだった。とてもいやで他人のふりをした。卒業式も入学式も僕はひとりでよかった。だから僕に来ないと嘘をついて、祖父と一緒に隠れて見に来てくれていた。 しばらくして、両親の仏壇の上に、一生懸命撮ったといわんばかりの僕の写真が飾られていた。 今年、祖母は13回忌。祖母は70過ぎまで、お饅頭屋さんで働いてくれた。祖父は定年を過ぎると、家のことをやっていた。僕は早く一人暮らしがしたかった。高校を卒業すると上京し、滅多に九州には帰らなかった。 でも家庭をもち、子どもの親になってみて、子どもを育てることがどんなに大変なことか知った僕は今、祖父母に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。娘を先に失って、幼い僕達を引き取って育てることを、60過ぎてしなければならなかった祖父母…。 僕はわがままばかり言ってきた。ものすごく傷ついただろう。 祖母が学校へ来るのを恥ずかしいと言っていた僕を、祖母は精一杯いたわってくれていた。 もうすぐお盆です。謝りたい。 年老いてからの子育て大変だっただろう。愛情いっぱい注いでくれたのに、ひどいことばかり言ってきた。 じいちゃん、ばあちゃんのおかげで、今僕達は生きている。 心配ばかりかけた。手を焼かせてばかりで。病院にもあまり見舞いに行かなかった。 誰より優しかった僕のばあちゃん、本当にごめん。
たったひとつの命だから 僕たちは これからも生きていく 与えられた時間を 一生懸命生きていくよ
愛知県名古屋市 大山